今週のワンピースを何度も読み返しては、くまの生き様に静かに感動しているゾリラバです、こんばんは。
ここ数ヶ月、「ワンピース」の主役を張ったのは間違いなくバーソロミュー・くまでした。
最期にベガパンクに「ありがとう」と笑い、最愛の娘へのメッセージを託したくま。
昨日の感想で書ききれなかった感動の続き、早速いってみましょう。
以下、昨日発売の週刊少年ジャンプに掲載された“ONE PIECE”最新話の内容に触れますので、コミックス派、アニメ派の方はネタバレご注意ください。
ルフィに託した未来
2年前、シャボンディ諸島で麦わらの一味を次々と消したバーソロミュー・くま。
麦わらの一味完全崩壊というまさかの事態に、当時は「なんちゅうことしてくれとんじゃわれぇ‼︎」じゃなかった「なんという非道いことをなさいますの、貴方」とくまを恨んだものでした。
しかし物語が進むにつれ、くまはひょっとしたらスリラーバークからずっと、ルフィ達を世界政府から守ってきたのではないかと思いはじめ。
ついにこうして当時と同じシーンが描かれる中でくまの想いが明かされたわけですね。
スリラーバークの時点では既に、ベガパンクにルフィとニカとの共通点や期待を語っていました。
くまが良い奴と分かってからも、ゾロを死ぬ目にあわせたことだけは許せなかったのですが、今週のくまの心の声によると、(他人の苦痛を引き受けることに慣れている)自分でも気絶するかもと言っているので、命まで奪われることはないとわかっていてゾロを試したようですね。
そしてルフィが魚人のハチをかばってチャルロス聖を殴り飛ばしたことで、くまのルフィに対する期待は最高潮に達したようです。
同志であるドラゴンとイワンコフに黙って消えることを心で詫びるくまのセリフが、また泣かせるじゃありませんか。
おれがこの世を生きた証は…ひっそりと残していく
ボニーとこの少年の未来の中に
シャボンディで仲間を全て消されて、「仲間一人も救えないっ……!!!!」と絶望にくれるルフィに、心の中で「そんな事はない…‼︎」と言うくま。
お前はいつか
世界を救う男だ
くあー‼︎
泣けるっす。
まじ、泣けるっす。
誰よりも優しく寡黙な男
我らが主人公のルフィは、あれこれ悩むくらいなら全て口に出す男なので、尾田っちは、ルフィの「心の声」は書かない、と言っていました(唯一の例外が空島のラストシーンでのモンブラン・クリケットへの呼びかけ)。
それに対してバーソロミュー・くまは、聖職者らしく口数が少ない「想いの人」ですね。
だから回想シーンでも、くまの心の声がたくさん描かれました。
それによってくまが誰より情に篤く、思慮深く、愛情豊かで、自己犠牲の塊であることが、ようやく我々読者にも分かったわけです。
しかし言葉は少なくても、くまの優しさを愛した人々が大勢いたことが、くまの走馬灯で分かります。
くまが運命に翻弄されながらも必死で駆け抜けた人生には、ジニーやボニーをはじめ、くまを愛した人達が大勢いました。
だからこそくまは、笑って「ありがとう」と言い、最期の手術を慫慂と受け入れたのでしょう。
執刀するベガパンクは
さァ淡々といくぞ
事務作業じゃ
私は科学者
と自分に言い聞かせるように言っていますが、その言葉とは裏腹に、くまの人生を垣間見て号泣する姿が、更なる涙を誘いますね。
戦桃丸をはじめエッグヘッドの科学者達も、まるで殉教者に祈りを捧げているかのようです。
いよいよ物語は現在へ
くまの過去編が終わり、舞台はいよいよ現在の時間軸、すなわちエッグヘッドでジェイガルシア・サターン聖が暴れている場面に戻るわけですが。
サターン聖に一矢報いたものの、あっさりと捕らえられ、まさに命の危機に瀕しているボニー。
この流れだとやはりまず間違いなく、現在自我を失ったままどこかに向かって暴走しているくまが、エッグヘッドに現れそうですね。
気になるのは、ベガパンクが試させてくれと言っていた「二重人格のように意識を切り替えるスイッチ」と、サターン聖が命じた「自爆スイッチ」。
今週の流れだけを見ると、前者は却下され、後者だけが取り付けられたように見えますが。
最後にベガパンクの良心が勝ったと信じたい。
サターン聖は「私も科学者ウソはつけんぞ」と偉そうに脅してますが、何と言ってもベガパンクは人類の500年先をいく天才科学者ですからね。
サターン聖の目を誤魔化して、くまの意識が切り替わる脳の回路を埋め込むことくらいできたんではなかろうか(切なる希望)。
自我が残っていることがバレないよう、切り替わる発動条件を例外的に厳しく設定するとかして。
例えば「ボニーが世界政府に殺されそうになる」とか。
今週の感動的な展開からすると、くまの人間としての生は絶たれ元には戻らない(ベガパンクもそう言っていた)ように思えるのですが。
それでもくまちーには、最後は幸せになって欲しい〜‼︎
走馬灯のような描写が良いですよね!
心が折れそうなときボニーとの出会いでまた走り続ける…。
ジニーは出会った頃と大人になったときと2回描かれてますが、それだけ“大切”な存在だったことが良く分かりますよね…。
ホントそうですね。あのシーンが一番切なくて嬉しくて哀しくて泣けました。ジニーの笑顔とボニーの存在がくまの人生の光だったんだろうな。
シャボンディ諸島やスリラーバークの頃から くまの設定を温めていたと考えると
流石の伏線大魔王ですね~ 脱帽です。
ホントですよねー。当時はくまとボニーが親子なんて想像だにしませんでしたからね。“ゴムゴムの実”の正体とかもそうですが、尾田っちは良く何十年も隠し倒せるなと。
(他人の苦痛を引き受けることに慣れている)自分でも気絶するかもと言っているので、命まで奪われることはないとわかっていてゾロを試したようですね。
>>
この部分はそう解釈されたのですね。
私の個人的な見解は、
あの時の2人は(ほぼ)無傷のバッカニア族のくまと、既にスリラーバークでの戦いで瀕死のゾロであるため、身体的な状態に雲泥の差があったと思います。
くまは、上記のことを理解した上で「ただでさえ死にそうなお前が耐え切ることは不可能。死に至る」と発言している為、
“命まで奪われることはないとわかっていてゾロを試した” 訳ではなかったと思います。
結果としてゾロは死ななかっただけであって、発言どおりの意味だったと思います。
今回の回想シーンでの心情セリフ(「気絶するかもな」)は、それを耐え切ったゾロ凄い!(小並感) なシーンだと解釈しました。
時系列的にはその後に、スリラーバークの入口で「いい仲間を持ってる。さすがあんたの息子だな、ドラゴン」と呟いていた為、ゾロが耐え切ったことを(もちろん他の仲間全員の気概も)踏まえての呟きだと思っています。
長文失礼いたしました。
素敵なコメントありがとうございます。そう考えた方が大好きなゾロのあのシーンの感動が薄まらないので、私もそう思いたいかも。ただくまの優しさとルフィへの想いを知った今では、ゾロの命まで取る気は無かった(死ぬとこまではいかないだろうと分かっていた)気がします。